【僕の母について」その5 〜カウンセラーとしての母〜

母の事
タテ
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どうもタテです

母についての話の第5弾です。

これまでにいくつか書かせて頂いているのでそちらもご覧頂けたらと思います。

前回はメンタルトレーナーになった母についてお話しさせて頂きました。

今回は母がメンタルトレーナーになってからの活動についてお話をさせて頂きたいと思います。

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自分でブログを開設した

個人として活動して行くのにサイトが必要と考えた母は知り合いに教えてもらいながらブログを始めました。

今は閉鎖しているんだと思いますが、当時の母は雨の日に相談依頼のメッセージが来るや、始めたばかりなので頑張って更新しないといけないと言っていました。何かネタがないか探していたのを今でも思い出します。かなり大変そうでした。

結果、母のカウンセラーとしての収入はありませんでしたが、学んだ結果母は考え方や、相手に対しての対応が上手くなったので生きやすくなったとも言っていました。

母が活動をして行く中でとある漫画家のお母さんに出会い、巻数は少ないものの、その漫画はアニメ化までしておめでとうと言い合ったそうです。今もその漫画は我が家にあって、ファンレターの返事も残っています。

またいつか機会があったら対面したいなと思っています。ちなみにキレイな絵のギャグ漫画です。

自分史上最高と書いた紙

授業や自分で活動を始めている中、母は目標を書いた紙を自分の寝室に貼りました。内容は、1年ごとの目標でいろんな雑誌の切り抜きなんかを使って書いてありました。

最後のところには、黒柳徹子さんの写真と共に「自分史上最高」と書かれていました。

なんだか母らしい目標だなと思い心の底からそうなって欲しいとも思いつつ、学校でのカリキュラムが終わり個人としての活動をしながら普段の仕事をしていました。

この時の母はとても生き生きとしていて。僕ら兄弟に良い影響を与えてくれました。

特に母は弟に対し過去の自分と重なる部分があり弟に対する教育・ケアは意識的にしていて、母が弟に対してとった行動に後悔があるようで力を入れていました。

弟が高校受験で、僕と同じ公立高校を受けたのですが結果受からず、私立の学校に通う事になりました。

母はカウンセリングを行い、そのおかげか僕が思っていた弟の落ち込む期間は短いものでした。そして弟はその私立の学校で、前向きに取り組み前まで根暗で消極的だった弟が、明るくなりチャレンジをするようになりました。

この出来事は家族としてとても嬉しい事となりました。

カウンセラーとしての仕事

母がカウンセラーになり、一人では活動をしていなかったようで学校で出会った方と運営をしていました。

たまに出かけて行き、相談者の話を聴くことをメインでしていたようです。母の病気が発覚し少し経った頃、知り合いの会社?で人員募集が出たらしく試験を受けることになりましたが、他にいい人が居たのか採用とはなりませんでした。

それからも母は活動を続けていましたが、そのうち母の病は進行し放射線治療が始まりました。

結果として、母はカウンセラーとして収入を得ることはできませんでしたが、活動していた時の母は生き生きとしていて、それなりに頑張っている姿を見せてもらい、僕ら兄弟はわがままを言わなくなっていました

ここから学んだのは隠れて努力をしているのも良いですが、本気ならその姿を見せても良いんだと僕はこの時、知りました。

まとめ

最後まで読んで頂きありがとうございました

今回は母がカウンセラーとしての活動を話させて頂きました。次回は、母が放射線治療をしてからのお話になるかと思います。

かなり、僕的にきつい内容になるのでゆっくりと書いて行きたいと思います。次で一度このシリーズは終わりとなりそうです。

そのあとはまた思い出したらお話して行こうと思います。

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