今度は福岡に

雑談

どうもタテ(@tate1997ZA8f)です。

今回は、仕事で福岡に行ってきました。

このあいだの名古屋とは違いしっかりと仕事で行ってきました。

名古屋での初めての仕事は
どうもタテ(@tate1997ZA8f)です。 母の死後、仕事を変えて同じ業界なのですが仕事の内容は変わり 前の会社では、「この人にはここの面では勝っている」なんて感じれていましたが 今の会社では、完全に劣等感ばかり感じています。 早く追い...
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社長と二人

今回の福岡での仕事は今の会社の社長と向かいました。

数ヶ月前、広島に行った以来の二人での仕事です。

いつものようにスマホで予約し大阪駅へ向かいました。

僕は経費を気にしていつもの自由席を予約し、社長と会話をしながら大阪駅に向かっていました。

社長
社長

タテ君は何時の新幹線?

タテ
タテ

合わせれるように自由席にしましたので

きた新幹線に乗ります。

社長
社長

指定席にしないの?

別に変更したらええやん

タテ
タテ

少しでも気にした方がいいのかなと思いまして

社長はどの辺りの席を取られましょた?

社長
社長

僕は、グリーン車です。

タテ
タテ

え!?グリーン車ですか!

僕乗った事ないです。

指定席と違うんですか?

社長
社長

3列の真ん中が空いている状態の指定席とはあまり変わらないかな

そしたら特別に今回グリーン車に乗ることを許そう。

こんな感じのやり取りをしてグリーン車に乗り博多に向かうこととなりました。

人生初のグリーン車

この写真は僕のTwitterにもあげたものと同じ写真です。

値段を見てわかるように通常の指定席よりも¥6,000円ほど高い値段になります。

この半券が改札から出てきた時は驚きました。

飲み代分あるやん」っていうのが最初の感想でした。

グリーン車の車内は片側2席ずつになっていて、フットレストが付いていました。

また、各席にはコンセントがついていて、2席の間の肘掛は広めでした。

そして、大阪〜博多までの間に車内販売の方が3,4回は来ていました。

普段使っている席ではなかなかない頻度だなと感じました。

新幹線に揺られ、その振動で眠りにつきました。

そして何かのタイミングで目を覚ますと、僕と社長の間の肘掛におしぼりが置かれていました

最初は何かわからず、隣の席で寝ていた社長が目を覚まし何かを聞いておしぼりだと教えてもらいました。

まだまだ、知らない事だらけだなと感じました。

この日は無事に博多に着き、仕事を終え現地で解散となりました。

屋台を満喫しようかなと思ったのですが、とったホテルが遠かったのと時間が遅くなってしまっていて

行くことを断念し近くの居酒屋に入りました。

福岡のB級グルメなるもの

それなりに一人で入りやすそうなお店に入りました。

お店に入り、刺身がお勧めだというのでそれを注文し

一つ目がついたのがパッピーB級グルメの文字

チャレンジで注文しました。

出てきたのは生のピーマンと肉みそ?でした。

味としては、「うまい!」ともならずマズイともならず

ピーマンに肉をのせたモノの味でした。

めちゃくちゃうまいと感じる事ができませんでしたが

新しい食べ物を知る事ができたのでよかったと思ってます。

父の実家へ

どこかのブログでお話したか忘れましたが、父の実家は長崎の佐世保になります。

せっかく会社のお金で福岡まで来て、次の日は休みをもらったので父に連絡し佐世保に向かった方がいいか聞き

父

行けるなら

と返信がきたので佐世保に向かうことにしました。

博多から特急みどり号に乗り、3時間かけて向かいました。

父の実家に到着

実家に到着すると父の兄の奥さんが出迎えてくれました。

近所の農家さんのお手伝いに行く予定だったのをキャンセルし僕にお昼を用意してくれました。

到着したときに気がついたのが

この日は28日で母の月命日でもありました。

またもや、母の命日にちょっとしたイベントが行う事ができてよかったです。

皿うどんやお寿司など、長崎ならではのお昼をご馳走になりました。

たった3時間程度の滞在時間でしたけど、いい時間を過ごす事ができました。

墓参り

こっちにある身内の墓参りにもいってきました。

長崎の墓石は金文字で書かれていて、漫画のばらかもんを読んで

変だと書かれていて気にしていなかった事を長崎ならではのことなんだと知りました。

このお墓にはおじさん(父の兄)、じいちゃんが入っています。

ここだけの話

父の実家でも色々あり、田舎ならではの話になってしまいますが

我が家は元々分家でしたが本家の方に、子供がいないという事があり我が家の家系が本家になりました。

そして父には母違いの兄と姉がいます。父の父、つまり僕のお爺さんは戦争に行きシベリアから帰ってきた人で

戦争の関係もあり父と兄・姉とはお母さんが違います。

父の姉は嫁ぎ家系を外れ、父の兄は僕が高校1年生の時ガンで亡くなりお子さんもいません。

そしてお爺ちゃんもおじさんのあとを追うように僕が高校を卒業する数週間前に亡くなりました。

叔父さん
じいちゃん

僕にとって初めての身内の死はおじさんで、その時はどこか理解しきれおらず、

親戚の方々に「これから頑張れよ」と肩を握っていただいき、よくわからないまま「はい」と答えまたが

葬儀の晩、父と母が呼ばれ僕ら兄弟は障子を挟んだ隣の部屋で寝ていました。

これからの我が家の長は、父になる事、そして僕が家系の長男である事そう言った話をしました。

高校生ながらに親戚の方に握られた肩がズッシリと重くなった事を今でも覚えています。

それから数年後、母がガンになり母が余命宣告をされて少しした頃に、

ばあちゃん(父の母)が認知症気味になり朝飲んでいた薬を飲み忘れ血圧が異常に高くなって

老人ホームのような施設に入ることになりました。

そして母が他界。

ばあちゃんは施設、おじさんの奥さんと2人暮らしで過ごしていた父の実家が

おばさんが一人暮らしになりもう数年が経ちました。

僕らはコロナ以降、佐世保には帰っていなかったので、僕一人ですがいいタイミングで帰る事ができて良かったです。

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