母の病気を知り合いに話す

母の事

どうもタテです今回は、母の病気の事をどのように誰に伝えたのか

その結果どうだったかお話しできればと思います。

  • 最初に話した人は?
  • 友人、学校の先生には?
  • 話した結果良かった事

以上の流れでお話ししていければと思います。

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最初に話した人

意外にも、僕が最初に話した人は当時のアルバイト先の店長と同期の仲間でした。

母がガンと発覚し、数週間が経った頃の話です。

当時僕は、1年ちょっと飲食店でアルバイトをしていました。2月に母の病気がわかり、自分の中でじわじわと理解し始めた頃です。

アルバイトで2日連続で、お客さんにお酒を溢してしまう失敗をしました。今振り返ると、自分で感じているよりもずっとショックが大きかったんだと思います。

僕と同期の二人をバイト終わりに店長が定期的に誘って頂いていた飲み会の時でした。バイトの話や学校での話をしてく中で、店長が体験・経験を学生の内にしておいた方が良いという話になりました

店長
店長

「タテも行きたい場所ややりたい事があったらチャレンジした方がええで」

タテ
タテ

海外に行きたいと思っています。でも…

とモジモジしている僕に店長は

店長
店長

前はやりたい事あったらそれなりに行動してたのに、

どうして行こうとしないん?

タテ
タテ

実は母が…

母にガンが見つかりまして

と、このような感じで少し無理矢理感はあったものの、初めて誰かに話す事ができました。

実は店長のお母さんも乳ガンで亡くされていた事がわかり、ガンと言う病がこんないも身近な話なんだなと感じました。

その飲み会の後ラインで店長から、「言いたくない事を言わせてごめんと」ラインが届きました。

形は綺麗な打ち明け方ではなかったですが、結果として少し楽になりました

友人、学校の先生には

次に学校の先生や友人にどのように話をしたのかお話します。

僕が話せた友人は同じゼミ生だったH君のみで、H君に話した後ゼミの先生には話す事ができました。別のブログでお話した通り、大学3回生の終わりに母の病気が発覚しました。

大学では建築学科だったので、卒業設計がこれから始まり、卒業をかけた研究題目を同じゼミ生は決め研究を進めていましいた。

僕だけ、それなりに課題をこなしながらも研究に身が入らない状態で、日々が過ぎて行きました。

このゼミで隣の席だったH君はなぜか今回の研究テーマをガン患者、その家族が利用する「マギーズセンター」を題材にするとの事でした。

今思えば僕もこの研究に参加し、共同発表という形にすれば良かったと感じていますが、当時の僕はそのような状態ではなかったので言い出す事は出来ませんでした。

彼の研究を一緒になって資料収集や研究方向を話している中で打ち明ける事となりました。今でも、大学の友人でこの事を知っているのは彼だけです。

ゼミの先生には、僕から個人的に質問があると言った感じで話しかけました。一度アルバイト先の店長、H君に話している事もありスムーズに話す事ができました

先生は「もし研究ができる状態でないのであれば、私の言う通りに研究を進めなさい」と言われそれはさすがにダメだと思い、何とか卒業できるレベルギリギリで制作物を出し卒業させて頂きました。

卒業可能なギリギリの成果物で提出したことに対し、何も話していない同じゼミ生から「なぜ最後までやり切らなかったのか」など色々言われ

僕の研究に対して詰められ、詰められた時はかなり心理的ダメージを受けましたが、ゼミメンバーに話をしないと判断をしたのは僕である事を振り返ると受けるダメージは少なく済みました。

話した結果、話して良かった

まとめとして、ここからは話した結果良かった事をお話します。

結果として誰かに話す事で、自分の中で抱えていたものが軽くなりました。やはり一人で抱え込まず、少し時間はかかるかと思いますが誰かに打ち明ける事は大切だと思います

自分の中にある溜まったものを少しでも吐き出し、話を聞いてもらったと言う事で僕は母の病気を、ガンである事を受け入れる事が出ました。

今までは人に話さない事で、母の病気を認めず否定したいと考えていたのだと思います。

まだ高校時代からの親友と呼べる友人や幼じみ、お世話になった方々など話せていない人もいますが、バイトの店長といったちょっとだけ関わりのある方とかが、意外と話しやすかったりします。

家族ぐるみでお世話になってはいないけれど、最近少しだけ関わる事になった人に話す方が自分の身近な人に広まる事も少ないと思いますので、試して頂ければと思います。

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