どうもタテ(@tate1997ZA8f)です。
前回の続きで書かせてもらいます。
兄弟妹で昼食
家族が少し落ち着いた頃、お腹が空いたと言うよりも時計を見て、お昼であることに気づきました。
父は病室に残り自分の弁当で食事を取るということで
兄弟で病院近くのファミレスに入り昼食をとることにしました。
弟には3時半からWeb面接が、妹は歯医者の予約があったので急いで取るようにしまいた。
部屋を出る時、弟は母の目に入るように手を振り、それを見た僕は妹にも大事だからと言いました。
妹に母に対して手を振らせ部屋を出ました。
母に手を振った弟を見て、少し何かを感じとったのだと思います。
ファミレスに入って気づいたのが、兄弟だけで外食するのはこれが初めてでした。
僕も外に出て少し落ち着き、案内された席に座った時、2人の顔を見れるようなり見た時
弟妹は二人とも目が潤っていて赤い状態でした。
にも関わらず、涙はこぼしていませんでした。
兄である僕は父と二人で病室にいる時、「息を吐いてくれ」と思いながら母を呼んでいました。
そんな時に僕は涙をこぼしていたので、僕の弟妹が強いなと感じました。
それぞれ、母に対してもう少しもつと思っていたことを話し合いました。
特にコミュニケーションを取っていなかった弟が思っていた事を話してくれた事は
弟の思いや考えを知れて嬉しかったのを覚えています。
弟は自分の中で母の事だから6月とか一度内定が出る頃かなと思っていたそうです。
妹も昨日の今日で母の事で呼ばれるとは思っていなかったと言っていました。
食事が終わり、ファミレスを出たところで解散しそれぞれの予定の場所へと向かって行きました。
酸素濃度
病院に戻りファミレスで少し落ち着けたので、病室内をゆっくりと見渡す事が出来ました。
母の隣に置かれていたのは心電図ではなく酸素濃度である事がわかりました。
指に挟む事はできなかたんでしょう、耳たぶに機械が挟まられていました。
この時の数値は120くらいでした。
少し経って病院の看護師さん達が来られて、トイレのケアをするので一度退室するよう言われ
視線を機械の数値に目をやると90代でした
あれ?と思いながら部屋を出て父とファミレスでの弟妹の様子を話しました。
「そうか」と言いながら少したら中から看護師さんが出てきて
「心臓が弱くなってきていますので」という事になり
すぐに部屋に入りました。
僕の横目に映った数値は70代でした。ものの数分でこんなに数値が下がるものなのかと思いながら
僕は母に「息を吐け!」と呟きながら母を見つめ
父は減っていく数字を見つめていました
そして父が「ダメだ」と呟きました。
僕は母の顔を見て呼吸をしていないのを、ただただ見ていました。
看護師さんに言われて部屋に入り、数分でした。
そしてしばらくすると、看護師さんと主治医の先生が来られて
ご家族が揃ってから確認しますねと言って頂きました
4時32分
父は椅子に座り抜け殻のようになり、僕が弟妹に連絡をしました。
ごめんやけどUターンして欲しいと
「酸素を吸う力が弱くなている」とだけを伝え戻ってきてもらいました。
ここでも僕は嘘をつきました。
各自、予定があってなんとか事情を説明しキャンセルしてもらって
この時、兄としてかなり情けなく、力不足に感じました。
弟妹に自分の口から「母が….」と伝えさせる事に対して嫌な思いをさせてしまったなと
弟は面接を断り、高校生の妹にはキャンセル理由を伝えさせ
それぞれにかなり辛い事をさせてしまったなと感じています。
そしてこの時一番ショックが大きかったのが、色んな人に連絡をしないとと思い母の携帯を取りました
そして1件ラインが来ていてそれは妹から母へのラインでした
内容は一言、通知内容が見えました
「いきのびろ!」
僕はもう立って要られませんでした
妹は解散した後、直ぐに母に送っていた様です。
少しの間、僕は地べたに座って看護師さんが入ってくるまで、母のベッドを見つめていました
最初に妹が着きそうだったので、着くであろう時間に僕は病室を出て待っていました
妹が看護師さんに連れられ病室に連れられてきました。
その時の妹は「なんで部屋の外で待っているの?」と問いかける様な表情をしていました。
僕はただ、無言で部屋に入る様に指をさしていました。
妹が部屋に入り中で父と2人だけで話し、しばらくして妹が泣く声が聞こえました。
落ち着いた頃、妹が目を腫らしながら出てきて自然とハグをし、互いに母をおしみました。
少し妹と話し父の様子だったり、急に母が弱くなってしまった事を話しました。
しばらくして弟が到着。
弟はどうコミュニケーションをとっていいかわからず
上手く出来ませんでしたが、映画の主人公と仲間が合流した時の様に拳を付き合わせる様な動きをして弟を病室に誘導しました。
弟を誘導してくださった看護師さんには、今揃ったので時間を空けて確認を行って欲しいと伝えました。
部屋の中から弟の声は聞こえませんでした。妹が部屋から出てきたくらいの時間まで待ち
妹と2人で部屋に入りました。
そして再び病室に5人が揃い少し時間が過ぎた頃、先生と看護師さんが入室しました。
そして「確認させて頂きました。脈、瞳孔ともに反応がありませんでした」
「午後4時32分、ご臨終です」そして母に手を合わせてくれました、妹も遅れて合掌しました。
僕もそうでしたが、この時何をしたらいいのか分からなかったので合わせていたんだと思います。
僕・父・弟は、深く礼をし先生に感謝を伝えました。
2022年3月28日 4時32分 母が逝きました。
母の病室での生活
母が向こうに行って少し落ち着いた頃
弟がティッシュを取ってと言い、弟に箱ティッシュを回して渡す間に1人ひとり、自分の分を取り
4人揃って鼻をかみました。そして少し和やかな時間が過ぎて行きました。
するとノックが聞こえ、入ってきたのは
母の指のリハビリなどを担当して頂いた方がお別れの挨拶に来てくれました。
母のベッドの横に置いてある物の説明をしてくれました。
リハビリで作った簡単な、ぬいぐるみの様な
毛玉の様な白黒のものを手に取り
「指のリハビリで作ったんですが、分かりづらいかも知れませんがこれパンダなんです」
「〇〇さん(母)に好きなものを聞いたらパンダとおっしゃっていたので」
この時僕の後ろに座っていた妹が、僕の肩に顔をうずめ
「そうや〜母ちゃん、パンダやもんな」と少し嬉しそうに泣きました。
少し、母の病室の暮らしを知る事が出来ました。コロナで全然会えていなかった時間を取り戻せたような気がしました。
そして父は別室で葬儀屋、病室を空ける手続きをしていました。
僕ら兄弟には家の掃除をする様、指示しこの日は終わりました。
まとめ
今回は母が向こうに行くまでの話をさせて頂きました。
妹がコロナの陽性になった関係でまだ葬儀は行えていませんが
もう少しで葬儀屋さんと打合わせを行います。
今週には葬儀も行えそうなので、またそれについてはお話したいと思います。
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