どうもタテ(@tate1997ZA8f)です。
今回は僕が母の病気を知らされて、その後の行動で母がガンである事を自覚した瞬間についてお話します。
少ないですが、強く印象に残っているのはこれしか無いのでお話したいと思います。
- 母の薬の量を知った時
- 僕が帰宅した時の母の姿
以上の内容でお話します。
母の薬の量を知った時
母が1度目の入院から一時帰宅した時のことでした。
母のガンが視覚まで影響していた事、コロナの影響で通院回数を減らすと言う理由もあったとは思うのですが
持っていた薬が、よく目にする小さな封筒の様な紙袋ではなく、使い捨ての目薬が2箱・その他錠剤が細々とありました。
毎食後と寝る前に飲む薬、週に一度起きた時に飲み30分〜1時間は寝転ばず起きておかないといけない薬そんな薬を飲んでいました。
中には、一錠の丸いの薬を4分の1に割った小さなものまであり、もしこの割ってある錠剤はそんなに強い薬なのか
薬についても全くわからない僕にとっては、映画やドラマでしか見た事がないものが目の前に現れた事で、自分の母は病気である事を実感しました。
僕が帰宅した時
何度かの入院をし母が退院した時のことです。
ガンになられて放射線治療、ガンマナイフを行った方がいましたら、お分かりかと思いますが僕が帰宅すると、母の髪がなかったことです。
母はリビングでテレビを眺め、リビングに入ってきた僕に対し目で「おかえり」と言った様に感じました。この事は一番わかりやすく、現実を突きつけられた事だでした。
この事が一番受けた衝撃として大きいものでし母も気落ちをし、なんとか立ち上がり病院を退院したのかなと思います。
帰ってきた僕や弟妹に自分の口から体のことを語る事ができないと感じ、この様にただテレビを眺め「おかえり」と目で伝え
母は本当に病気でまだあると思っていた時間が少ないんだねと僕らに話しかけていたのだと思います。
テレビでガンと診断された方でどうせ治療で失うなら自分で断髪をした方が出ていたのを思い出し、その方は強い方だなと、目の前にいる母を見てそんな事を思いました。
母はこの方の様に、できなかったのは僕と同じ様に自分の病気のことをギリギリまで否定して受け入れる事ができていなかったのだと思います。
まとめ
母の持って帰ってきた薬を見た時、母が髪を失ってただテレビを眺めていた時が僕にとって母の病気を自覚した瞬間でした。
今でもこの時の事を思い出すとしんどくなったり、落ち着きをなくして動悸が荒くなってしまいます。
自分がしんどくなってしまうのは認め、落ち着くのに時間はかかるもの落ち着かせるすべは知っているのでなんとかなっています。
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