どうもタテ(@tate1997ZA8f)です。
今回は僕が転職を考える事となった要因についてお話させて頂きたいと思います。
- 長時間労働
- 資格取得の否定
- 夜に送られて来た3連続メール
- 母の病・他界
これが僕が会社を転職しようと考えるきっかけになり、踏み切る事にしました。
長時間労働
この内容はどの記事にも書かれていてあるある話なので、もっと長い方もいるかと思いますが一人の事例だと考えて下さればと思います。
この事は僕が勤務していた業界柄仕方ない事なのですが、朝8時に会社に着き、12時に昼食を取り23時頃の終電で帰っていました。
元々家の状況もあったので、僕は実家から1時間ほどかけて出勤していました。忙しい時は、会社に寝泊まりもしていて最高3泊しました(1年目の3月頃)
勤めていた会社では残業代の支払いがない会社でした。その代わりボーナスが3回あり、1回あたり1.5ヶ月(1年目は0.5ヶ月)分が支給されます。
グラフに平均で時間スケジュールを作ったのでご覧ください。
内容は好きでしたし、それなりにやっていけるメンタルでした。
少し違和感を感じたのは、初めて1案件が終わった時に達成感・やりがいが感じる程のことはありませんでした。
頭の中は戻ってあれこれをやるということばかりで、プラスの感情を感じれない状態でした。
会社に入った時にはそれなりのワクワクやプラスの気もちがあったのですがそれが1年半ほどで消えかかっていました。
資格取得の否定
この出来事は自分の中で後々になって大きくなってきた不満になります。
入社1年目のが入社し数ヶ月経った頃、今勤めている建設業に使える資格を取得しようと通勤時間と休日を使って、参考書を買い独学で勉強していました。
入社前の面接で担当して頂いた方に「自分は資格の取得にも力を注ぎたい」と話したところ「もちろん、頑張ってぜひ取って欲しいし、仕事にも必要になるし」と承諾を頂いていました。
入社し入った部署で仕事をして、入社間もない頃だったので先ほどのスケジュールより早く帰って9時頃、ないしは定時頃で帰っていました。
独学で勉強をし1次の筆記試験を無事通過しこれから2次試験の実技に向け気合を入れていた時、直属の上司に呼ばれました。
最初の雑談のような内容は省いて言われたことをいうと
「お勉強してないで、仕事してくれるか」と言われました。当時ショックはあったものの、社会はこんなものなのかなと思っていました。
直属の上司に面接をしてもらった訳ではなかったですし、伝わってなかったのかや、部署飲み会の時に「資格を取りたいと思っています」とその上司には言ったのですが、飲み会の席ですし忘れていたのかなと思っています。
夜中に送られて来た3連続メール
この日の出来事は母の宣告を受けた数日後の事でもあり、かなりトラウマにように覚えています。
先輩と2人でやっていた案件の資料を作成し先輩は次の日の朝、打合わせがあるので日付が変わる前に帰宅さえれ少し手入れをして上司に送信するだけで、僕が手入れをしメールを送信した日の夜10頃のことでした。
すぐに返信が来ました。思いの外早くメールの返事が来たので、恐る恐るメールを見ると
資料の作成に対する質疑が返ってき、「何を表しているのかわからない」「この部分は不要ではないのか」との内容が短いメール内容で2通連続で来て
僕で対応ができそうだったので資料と返信のメールを作成している時に、またメールがきました内容は
先輩と僕に対して「俺より早くに帰って、休日もしっかりお休みになって、この資料はなんですか。やる気がないなら、別部署に異動か辞めてもらって結構です」という内容でした。
一気に何かの糸が切れた僕は夜中に出るかわからなかったですが、先輩に電話をしました。
先輩はすぐに電話と取ってくれ内容を伝えました。先輩も自宅にパソコンがあったので同じメールの内容を確認しながら、資料を作成し、メールの内容も考えてくれました。
この時に僕の会社に対する気持ちは無になったと思います。
なんとか資料を作成し、メールを送信しました。時間を確認したら電車がなくなっていたので会社に泊まる事を決意しました。
すると電話がなり先輩からで「帰れるのか」と聞かれ嘘をつき「はい」と答え、かなり心配して頂き何度か確認で聞かれたので正直に「終電ないので泊まります」と答えました。
すると先輩は「送るわ」と言ってくださり先輩の車で家まで送って下さりました。この時先輩に母のことや気持ちの面について話しました。
上司はきっと酒を飲んでいて勢いでメールを送ったんだろうと先輩と話この日は終わりました。この日の帰りの車内でかなり助けて頂きました。
次の日、会社に出社し上司との会議室でのお叱りか何かあるかと思いながら1日業務をこなしていましたが、コミュニケーション、会話はゼロだったので、なんだったのか未だに解決されないままです。
母の病・他界
これは本当に踏み出す勇気だったり、そんなタイミングで転職先が決まったりとしたので母がくれた縁だと思っています。
長い時間働いていながらも母が一時退院しているときは、壁に持たれながら立ち、歩き、僕にご飯をよそってくれこの時から考えていました。
ここまでして今の会社にいる必要はあるのか、体が悪い母に余計な心配をかけてまでこの状況を続けたいのか、ものすごく考えました。
結果としては母が亡くなり慶弔休暇を3日、有給を消化し1週間ほど休みをもらい、休み明け1週間ほど勤務し上司に退職の意志を伝えこの気持ちは変わらない事を伝えました。
母が倒れた時に父も血尿を出すなどがあったので、危険を察知できないこの状況に危機を感じた事
僕は社会に出て3年過ごし弟妹はまだ社会に出ていないので、少し定義が違いますが弟妹を世間で少し話題になっていたヤングケアラーにさせないためにと思いました。
自分の守りたい、大事にしたいモノ・コトの優先順位をあげ退職する事に決めました。
まとめ
今回は転職を考えた要因についてお話させて頂きました。
- 長時間労働
- 人間関係
- 家庭の事情
これが僕が転職を決断した要因です。
どれも「これ!」というものがなく、違和感のような物が負のタネがまかれ、不安・不満・家庭の事情などの事が水をやり結果、退職という実がなったのかなと思います。
退職する時に上司や別部署の先輩方には「ウチの会社は安定してるぞ、コロナでも黒字やで」「これから状況に合わせて仕事できるようになるよ」など言って頂きましたが、それなりに勉強をして本や情報を集め出した答えなので後悔はしていません。
条件を見れば断然、今の転職後の会社が良いので満足しています。
細かな条件は別の記事で紹介させていただいてますので、もし良かったらご覧ください。
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