母の葬儀 〜前編〜

母の事

どうもタテです。

今回は母の葬儀をするまでと、当日のことについてお話しさせて頂こうと思います。

大まかな内容としましては、今回我が家は母が向こうにいき直ぐに葬儀とはなりませんでした。

理由は、妹が熱を出し検査を受けた所、

コロナの陽性反応が出たため約10日後にすることになりました。

10日間の我が家での出来事、母は当日までどうしたのかなどをお話しさせてもらいます。

今回も分けてお話しさせて頂きます。

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掃除するため兄弟で帰宅

母が向こうにいき兄弟3人で両手いっぱいに袋・カバンを持ち電車で帰りました。

弟妹は何度も往復したので車内で眠っていました。

僕は片道約30分、ゆっくりと時間が過ぎて行くのを感じていました。

家に着くと、とりあえずリビングに荷物を置き、

これまでの僕ら兄弟の協力プレイで弟はリビングを妹は持って帰って来た荷物をなおし

僕は母が年末使っていた介助用ベットを置いてある部屋・玄関の掃除をしました。

全体的に掃除機をかけ大方終わってひと段落し

3人揃ってリビングで雑魚寝になって仮眠を取り父と母を待ちました。

少し仮眠をとり少しすると父から電話がきてもうすぐ着くと連絡がありました。

僕は玄関からベッドまでの動線を再度確認し、少しでもスムーズに行くように整えました。

母が到着、弱い僕

夜7時ごろだったと思います。

母と父が乗った車が到着し、車の荷台から白い布に包まれ体をベルトのような物に固定され

テレビで見る救急車に載せれるような担架に乗った母が出て来ました。

この担架のまま家に入る事が出来ずないので男手を借りたいとなり

この時僕はまたひよってしまって、とっさに弟を前に出し

弟に運ぶ手伝いをしてもらいました。

この時の僕はどうしても怖い、認めたくない、といった感情だったんだと思います

母の死を直接的に感触としても突きつけるような事をさせて

弟もきっと僕と似た感情だっただろうに、申し訳ないことをしたなと思っています。

無事に母をベッドに運び終わる事ができ

包まれていた白い布を外し改めて母の顔を見て、胸に重いものが乗り苦しくなりました。

母の顔に布を被せ、手前に小さな祭壇を組み立てて頂いて、母に線香を立てました。

妹の発熱・陽性反応

母を家に無事連れ帰る事ができ、少し落ち着いた頃

妹が部活の定期連絡で体温を測り、学校の先生に送る時妹が口でタオルで押さえ

「私、コロナかもしれへん」

と半泣きになりながら言いました

とりあえず今は何もできないので、我が家で隔離出来そうな部屋が僕の部屋だったので

そこで待機するようにしました。

とりあえず全てが終わり、父とどうするか話し合いました。

妹は部活でそこそこ強い学校に行っていて今回、母の病院に行けたのも

部活の遠征で発熱者が出たので早くに帰って来たのもあり母の顔を見る事ができました。

妹は明日、病院に行き検査を受けることになり

翌朝になり病院に行き結果、コロナの陽性反応が出て

我が家4人共に濃厚接触者になり、隔離生活が始まりました。

身内のような方の訪問

我が家には近所に、家族ぐるみで付き合いのある身内のような家族(Uさん)がいます。

付き合いとしては、弟と同じ病院で同じ日に生まれた事がきっかけです。

妹が陽性反応が分かった次の日に家に来てくれました。

突然のUさんの訪問だったので家族みんなが「え!?」ってなりました。

来てくれたのはU家のお母さんが来てくれました。

母の顔を見たいだろうという事で、父が家に入れました

分かっていた事ではあるのですが、そしてリビングに入るやいなや

「なんで言ってくれんかったのよ」と怒られました。

すぐに母の所に向かい母の顔に被さっている布を父が取り、

母の顔の横に顔をうずくめながら

母にも「なんでこんな状態である事を言わなかったの!」

母に対して泣きながら怒っていました。

少しして父が寄り添い、母の最後までを話していました。

容体が10月頃から悪くなり、足がダメになり、11月に宣告をされた事

しばらく静かな時間が流れました

一番怒られた弟

弟はUさんの家に時よりお邪魔していて、家に泊まる事もあったみたいです。

前から少し泊まった事を事後報告として聞いていて、母もこの事については怒っていました。

父との話が終わって僕と弟がいるリビングに入るやいなや弟に対して

「言うタイミングはいくつもあったでしょ!」と言われ

「….いや、言えないですよ」弟はと答えてました。

僕もきっと何度か家にお邪魔していたとしても言えなかっただろうなと思いました。

母とも雑談をラインでやり取りをしていたようだったそうで、

なのにも関わらず、弱音を吐かなかったようです。

確かに母は僕らにも弱音は吐きませんでした。

唯一弱音を言ったのは、母が足が動かなくなった時に

「もう母ちゃんはお荷物よな、お金ばっかり消費して自分の月に1回の治療費も払われへん。ごめんな」

僕は、この時返した言葉としては

「何言ってんの、母ちゃんはどんな状態であっても母ちゃんでお荷物じゃないし!」

「お金の事も順番やろ、定年が来てたらこうなってたろうし、そう言うもんやろきっと」みたいな事を言ったと思います。

妹にも会いたいとなったのですが、

さすがにコロナの陽性者とは…と言う事で妹とは隔離している部屋の扉越しに声をかけ話す程度で済ませ、この日は終わりました。

コロナの濃厚接触者としての生活

妹が陽性者となったので、この家族全員が濃厚接触者となりました。しかし悪い事ばかりではありませんでした

  • 母を家に帰そうとしていたので数日間でしたが家に帰せた事
  • 家族ぐるみで付き合いのあるU家の存在
  • 住んでいる自治体の制度の存在

以上3点が大きく良い事だったなと、不幸中の幸いだったかなと感じています。

母を家に連れ帰れた

父とも少し話しましたが、妹がコロナになった事で今まで祖父(父方)・叔父さん(父方)の葬式では3日間で

怒涛の日が流れて行き自分の中で整理も出来ないまましていたのに対して

今回は少し時間が出来たのも母ちゃんがはからってくれたんかなと思っています

「前にも話をしていたけど、家に戻そう戻そうとしていてやっと準備・覚悟ができた時にこうなって

普通なら3日で別れなアカンけど今回はそうじゃないのは、少し助かってるよな」と父と話し合いました。

U家の存在

U家の存在がかなり我が家にとっては大きな存在だったと思っています。

外に出られないので買い物を頼んだり、特に我が家として助かるなと思っているのが妹の事で、

女の子のこれから必要となってくる事やモノ、女の子ならではの相談事に対して

かなり不安になっていたので、協力してくれる人がいて良かったと感じています。

自治体の制度

最後に住んでいる自治体の制度がかなり手厚かった事です。

濃厚接触者となったので家族の誰1人として外に出る事が出来なくなり、普段の食べ物に対しての備蓄はある程度あったのですがやはり10日間も乗り切れる程の量は流石に無くて困っていました

とりあえず、「〇〇市 濃厚接触者」の様に検索をかけてみると電話での対応がありすぐに電話をかけました。

電話はすぐに繋がり、必要な人数・同居者の名前・住所を伝えるだけで数日後に置き配で届きました。1人ダンボール3箱もあり我が家の場合、合計12箱が届きました。

内容物はA~Cと箱に書かれており、A:消毒液、ゴミ袋など、B:レトルト食品、C:水、お茶などが入っていました。

10日間分以上の食料が入っており1ヶ月経った今でも合計4箱程度残っています。

食品に対して指定ができないので、もしアレルギーがあったら大変な事があったかも知れませんが、

幸い我が家でアレルギーがある人はいなかったので全て食べられる物ばかりでした。

妹にほとんど食べられてしまいましたが、中にゼリー、チョコパイもあったのでデザートに関しても入っていたので嬉しかったです

母の事はどうしていたのか

コロナの陽性者が出たので葬儀屋さんの会社も働かれている社員さんを守るため、

接触するリスクを減らすため葬儀の日程の打ち合わせをする日を延期する事になりました。

葬儀屋さんにとってもそれほど多くない事例なので対応が難しかったのかと思います。

今できる事は、母の体の上にのせるドライアイスで対応するしかないとの事なので、

毎日ドライアイスを届けて頂く事となりました。

父は葬儀屋さんで対応が難しいならと、住んでいる自治体に連絡をしたのですがやはり葬儀屋さんと相談してくださいとの事でした。

日が経つにつれ母の顔は黄色くなって来るので、乾燥でなったりするとの事で近くあった化粧水を頬に付けたりしましたがダメでした

昼過ぎに取り替えるドライアイスが思ったよりも重く、父とも「ちょっと可哀想よな」と話し

母はのいる部屋の扉を閉めて、冷風機を置いてできるだけ冷やすようにしました。

4日ほど経った頃、葬儀屋さんから「安置できる場所が見つかったので明日お伺いします」と連絡が入りました。

僕は隔離している妹にも母が明日、安置室に預けてもらう事になったことを伝え

母に手を合わせる様に伝えました。妹も一旦のお別れになるので少し顔を見て、「起き上がって来そうやね」と言って部屋に戻りました。

次の日に今から行きますと連絡があり父は葬儀屋さんが来るまでの間、母と話していました。

父のメタボで大きめの体が、見たこと無いくらい小さくなっているのを見て、

父も母との別れが早すぎることなんかを噛み締めていたのかと思います。

そして葬儀屋さんが来られて、母を連れて来た時の様に運び安置室まで連れて行ってくださいました。

まとめ

今回は、母が向こうに逝ってからコロナの関係ですぐに葬儀とはならなかったので隔離生活の10日間どの様に生活をしていたのかをお話しさせて頂きました。

  • 帰宅して兄弟で母を迎える準備をした事
  • コロナの感染、濃厚接触者となった際の生活
  • 母の体をどの様に家で維持させていたのか

次の後半部分で葬儀・通夜の事をお話ししたいと思います。

書き始めているにも関わらずかなりしんどいので、自分の調子を見ながらゆっくりと書いて行きたいと思います。

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