母が言っていた事

母の事

どうもタテです

今回は母が生前、僕ら兄弟に対してよく言っていた事を思い出したのでお話しさせて頂きたいと思い書く事にしました。

母が僕らに何かを伝えたかったのかわかる様な気がして、その考えを受け継いでいけたらと思います。

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いつまでもあると思うな、親と金

この言葉はそれなりに年を重ねると聞くシーンはあると思いますが、僕は小学生くらいの時から聞いていました。家で母の料理の手伝いで野菜の皮をむいている聞いたりしていました。

当時はこの言葉の意味通りで自立を促す言葉として言っていたと思いますが、お金より先に親である母を失うとは思ってもいませんでした。しかし母のおかげで我が家の兄弟は材料と作り方が分かればそれなりに料理をする事ができるまでになっています。おかげで学校の授業の調理実習が退屈だったの今でも覚えています。

母を失ってからはこの言葉に対する受け取り方が少し変わり、より深くとらえるようになりました。

親や世話になった人はいつか失う。その人に対して思った事は伝えた方がいい。たとえその言葉が汚い言葉だったとしても言える相手がいる事がいるだけで恵まれてる。でも最後はポジティブな言葉・感謝でしめる

こんな風にこの言葉をとらえるようになりました。残っているお世話になっている人・友達を大切にしようと思います。

母ちゃんが喜ぶ事をして

我が家にお小遣い制度はありませんでした。友達と遊びに行く時に必要な金額をもらう制度でした。

僕が小学6年生くらいの時、PSPとモンハン2Gが欲しくて母に交渉をしました。

誕生日もまだまだ先で、それまでどうしても待てないので母から提案された時の言葉です。

当時、母に提示された事は「お風呂場の全面掃除」です。風呂の浴槽のみならず天井・床・桶の掃除をしました。

しかし、お年玉の残りと全面掃除だけではかなり時間がかかるとわかり僕は追加で提案をし、「洗濯物の取込み、たたみ、自分のものわかるものは収納する」と追加のものを提示しました。

これで母は喜んでくれ、1日500円もらっていました。

この出来事は自分の中で良い体験で、世間に出た今でもこの相手に喜んでもらう事をしてお金をもらう考え方は素敵で大切だと感じています。

番外編

ここからは番外編で、ちょっとした時に必ず言っていた言葉を紹介させて頂きます。

我が家の独特の返しだったりする言葉です。もし皆さんの家にあるこういう言葉があったら教えてください。

黄色は何色?

この言葉は我が家でのしゃっくりを止めるときに使う言葉です。

この言葉自体にこれといって意味は無いのですが、母は少し考える時間を生ませるために言っていた言葉です。

我が家ではこの言葉の返しとしては「黄色は黄色」で返すのが正解となっています。少し考える時間を作りそれでしゃっくりの事を忘れさせ止めます。

今ではこの効果が繰り返された事で心の中でこの言葉を唱えるだけで止まるようになりました。この魔法の言葉は一番下の妹にも使えるまじないになっています。

料理は化学

これは僕が小学校の高学年のとき母の手伝いで、肉じゃがの味付けのをしているときに言われた言葉です。

料理の【さしすせそ】である、砂糖・醤油・みりんの調整が上手くいかずにいたとき母に他の調味料を加えてもらい味が整った事に驚きました。

母はこの言葉を通してただの会話のひとコマだったのかと思いますが、僕は何事もチャレンジできっと最後はなんとかなる。このようにとらえています。

実際はどこまでチャレンジする事ができているのか分かりませんが、僕が思っているチャレンジした事は失敗もありましたが最後には何かを得る事ができていますのでこの言葉はあながち間違いでは無いと感じています。

まとめ

最後まで読んでくださりありがとうございます。

今回は母が言っていた言葉を紹介させて頂きました。まだまだ思い出し切れていない言葉があるので、思い出せたら更新して行こうと思います。

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