どうもタテ(@tate1997ZA8f)です
今回は母が生前、言っていた事から母の価値観のようなものが見えた気がしたので記事にしました。
その中でも今回は、母が家族に対して願っていた事・大切にしていた事を中心にご紹介させて頂きます。
殺人と泥棒さえしなければ良い
母が僕が小さい時から言っている言葉で、本当にこういう考えを持っているんだなと感じます。
ただでさえ、五体満足で生まれてくれた事だけで母は満足していて後は子である僕らの行動で、
殺人・泥棒さえしなければ良いと言っていました。
まだ僕は親になっていないので実感としては理解できていませんが、少しわかる様な気がします。
一つ、社会のルールを犯さずにいてくれたらあとは自由に好きな事をして良いという事なのかなと思っています。
この願いは継続して叶っています。家族が地元の小さな記事の写真に載った事はありましたが、
学校紹介や部活動の活動報告といった形だったので嬉しい形で今のところ済んでます。
今は特に妹の部活動での活躍ぶりが凄く、
母も最後にネット放送で妹が試合をする姿を見たので最後に良いものが見せる事ができた妹には
兄として少し嫉妬する部分のありますが自慢できる出来事でした。
家族はチーム
この事は言葉としては僕が高校生の時によく耳にして、当時振り返った時にそうだなと感じました。
我が家は変なところ面倒くさがりなところがあるのか、例えば親に「ゴミ捨てお願い」と言われた時に
「え〜、嫌や」とはならず「わかった」となります。
これは兄弟3人ともそうで、抵抗している時間が勿体無いという考えなのか、わかりませんがそうなります。
たまに「え〜」とはなりますが、今すぐには動かなくとも手が空いた時にしています。
母がすごいのか、父がすごいのかわかりませんが普段の親のやりとりを見ていて僕らはやっているので、
人に「すごい」言われて気づいた事です。
誰かが気づいた時にやる。やりたいと言った人に対して家族がそれぞれで考え一つの答えを出してその方向に向かう。
まさにチームだなと感じています。
個人的にこの言葉から感じるのは、すべて一人でやろうとしない事だと思っています。
たまにテレビで見る母のお悩み相談所的な番組で世のお母さん方の相談内容を見ると
他の家のお母さんは何でも屋さんの様にやられているんだなと感じました。
同じ様な事を母もやっていますが、そこまで全て抱え込む事はしていなく分散しているなと感じました。
それと、両親はそれぞれが得意な事をやっているなと感じました。
片方が得意な事は任せて両方が苦手な事は半分こにしている印象でした。
家族の「やりたい」は否定しない
母に僕はこの25年間やりたいを否定された事はありませんでした。
流石に悪い事をやりたいと言ったら怒られ否定されますが、家族の可能性を家族が狭める事を母は自分の過去の経験からこの考えはあるのかなと感じています。
小学校の時の自分がやりたいと言った習い事。小学校の時に塾を勧められましたが嫌で断りましたが、
受験が視野に入ってきた時にやばいとなり塾に通わせてもらいました。
本人の意志を尊重してくれました。たまに塾のチラシに書かれている問題を解く様に言われましたが、
正解する事はできませんでしたが、惜しいところまで行っていたのでよしとなっていました。
また大学受験シーズンの時、僕は当時行く大学に指定校推薦で通っていたで10月頃から暇になり。
熱中していた部活も終わり世間が灰色に見えていました。
そんな時、母に「学校を1日ズル休みして京都に紅葉狩りに行きたい」と言いました。
母に「どうして?」と聞かれ正直に理由を話すと直ぐに許可をもらえました。
自分で紅葉の見頃の日を調べ、良いとされる日に学校を休み紅葉を見て次の日からは明るく学校に行く事ができたので
この日、休ませてくれた母には感謝しています。
そして罪悪感もあったので家におたべを2種類ほどお土産として購入し感謝を伝えました。
自分でも感じるほど世間に色がついてそれからの卒業までの数ヶ月間が楽しく過ごせました。
唯一母がカウンセラーになりたいと行った時に父は否定していましたが
母に対して学校を休ませてくれたことに対する感謝の念や、やりたい時に賛成してくれたことに対して嬉しかった思い出がある僕は賛成しました。
そして母はカウンセラーになるため学校に通い、「聴くプロ」の資格を取得し僕ら兄弟のメンタルケアや自身の心理的疲労を緩和していました。
番外編
ここからは、母がテレビなどを見て「この事は我が家にも当てはまるな」と言っていた事を紹介させて頂きます。
思い出した時に随時更新して行こうと思っていますので機会があったらまたご覧になって下さい。
初めては一度きり、思いっきり楽しめ
この事は母がTSUTAYAで借りてきた映画「マダム・イン・ニューヨーク」の一つの場面で出てきた言葉です。
この映画自体、【女性・母とは、人生の主役はあなた】というのがテーマの映画で素敵な映画なので見て頂きたいなと思う映画です。
この映画を見て母は、感激しこの言葉を繰り返しつぶやくようになり僕が大学生の時イタリアに行きたいと言ったとき母は病気がわかったばかりの頃で、「行くのをやめて」と言われましたが
1年後に母に「あの時とめてごめん」と謝られ「初めての海外旅行楽しんでおいで」とこころよく送ってくれました。
そしてこの映画の事も話題に出て帰ってきたときは直ぐに母の病院に行って土産と話をして楽しんだ事を報告しました。
お金はないけどそこそこ幸せ
この言葉は、あるテレビ番組で見て「ウチってほんまにコレよね!」と感激しながら言っていました。
ウチは3人子供がいてお金に対してかなりネガティブな面が大きいけど
そこそこは幸せよね
お金で大概のことは解決できるけど我が家にはそのお金が無い分、チーム力とかで解決・乗り越える事ができてるのは
幸せな事なんだなと思います。
実際、大学費用は全て奨学金でまかない教科書はバイト代で回していたので
思いっきり学科の勉学に浸かることはできませんでしたが、学校に通えていた事には感謝しています。
「お金は無いけどそこそこ幸せ」我が家のサブタイトルになりそうですね。
まとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回は母が家族に対して大切いた事についてお話させて頂きました。
母が大切にしていた事がこの年になってから少しずつ分かり出した頃に、
母を失って確認が出来ないことは残念ですがこの事を引き継いで行きたいと思っています。
コメント