どうもタテです
今回は母が入院する前に僕が言った一言が母のやる気を引き出すことになった事を先日知ったので、そのことについてお話させて頂きます。
僕が後悔している母に放った言葉は「足が動かなくてもできる事はある」です。
それではこの言葉を言ってしまった経緯からお話します
母が自分の足を叩いた
母が一度退院し、家にいた頃の話です。僕が夜、会社から帰って来た時母が夜遅いのにも関わらず、僕の帰りを確認を兼ねて、夜にトイレに立っていたのですが母は壁に寄りかかりながら、歩いてトイレに向かっていました。
その頃は夜で寝ぼけてているのかと思っていました。すぐの休みの日にその時はきました。
母が夜に見たように壁に寄りかかりながら立ち上がり、食事が終わった自分の食器を流しに持って行く瞬間でした。
母は大きく後ろにゆっくり倒れながら「ヒャ!」っと声を上げながら、近くにあった麦茶のポットに手を掛け、大きな尻餅をつきました。
もちろん、麦茶は溢れ床のカーペットは濡れビチャビチャになりました。母は絵に描いたように「もう!」と言いながら自分の足を2回叩きました。
僕は妹とその時、目が合い互いに不安な顔をしながら互いに苦笑いを浮かべました。それからの母は数日塞ぎ込み布団からなかなか出なくなりました。
母が開き直った
母が布団から出なくなり数日がったった頃、母は自分の存在が家族にとって邪魔な存在、お荷物だという言葉をは少しずつこぼしていました。
またいつもの様に食事をし食器を運んで洗っていて欲しかったんだと思います。母はお願いをしたくて「よろしく」と言いたかったんだと思います。
母が僕に言いました「もう足が動かないし、もう母ちゃんは何もできませ〜ん」とちょっとふざけて言いました。
その後また、自分はお金も産まず家族の負債である様な事を続けて言いました。僕はこの時あの言葉
「足が動かなくてもできる事はある」
この瞬間から、後悔が始まりました。
僕が後悔した理由
この時の僕は、中途半端にお金の事や会社員では無く個人事業者になる方が良い事、税金の話やまた、せどりやメルカリで不用品販売をして収入を得る事を知り始めていて、母に寄り添う事なく、考えもせず言ってしましました。
この言葉を言った瞬間から僕は後悔をし始めました。
永松さんの本にもあった様に母のメンタル面を引っ張る様にしたかったのかもしれませんが、僕の中では失敗したなと思っていましいました。
そして数日後、母は病院に入院し2021年11月に余命宣告を受ける事となりました
僕が厄年だった事が原因なのか分かりませんが、母に放った言葉がこんな言葉が最後なんて、そんなことは嫌だという後悔が巡っていました。
母の活力になった事を知った出来事
母が僕の誕生日を祝ってくれて数日経った頃母から珍しくラインや電話がきました
それに僕の誕生日の日にも家に電話があったと妹から聞きました。声は前とは違い、元気があったとの事でした。
内容は僕のツイッター(@tate1997ZA8f)お話したんですが、母からお金の勉強をしたいと連絡がきました。
僕は数日後、母の病院に向かい頼まれた歯磨き粉を買い病院に向かいました。
そしてたまたま面会ができたので母に会い、母の病室に入り母と年始以来に顔を見て話しました。
そして母にどうして急に勉強したいとなったのか聞きました。
母ちゃん、もう後どれくらい生きれるか分からんやん?
やから、ちょっとでもなんか行動したいねん
う、うん
それにあんたに言われた「足が動かんくてもできることはある」って言ったやん
ほんまにそうやなって今感じてて
足は全く動かんけど、手は動くし、話せるし、片目やけど目は見える
知識になるだけで終わるかもやけど勉強していねん
もし、株の口座開けるまでになったら
残ったものはあんたに全部渡すわ(^^)
この時僕が感じたことは
- 母には余命宣告を受けた事が伝わってない事
- 母に放った言葉が母の行動するきっかけになった事
僕の後悔が救われた瞬間でもありました、僕は病院を出て近くの書店に向かい閉店時間ギリギリまで持っていない本で、母が気になっている事を解決できるものがないか探しました。
僕が選んだ本
最後に僕が選んだ本を紹介し終わりたいと思います
僕が母の元に持って行った本か下記の3冊です
- 難しいことはわかりませんが、マンガと図解でお金の増やし方を教えてください
- 本当の自由を手に入れるお金の大学
- ぶっちゃけ相続
この本を持って行きました
マンガ本以外は、気になる箇所だけを読む様にと伝えました。
お金の大学以外は新しく購入しました。もしみなさんの参考になれればと思います。
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