どうもタテ(@tate1997ZA8f)です。
今年も暑いお盆をどう過ごされたのでしょうか。
関東や北陸の方では大雨や台風など、もう少し前では北海道で地震がありましたが大丈夫だったでしょうか。
無事なことを願っています。
母が亡くなって初めての夏を迎えます。
そしてやってくるのがお盆休みです。
我が家は初盆になるので手探りですが分からないなりに右往左往しながら初盆を終えることができたのでその事をお話させて頂きます。
お盆当日
前回の百ヶ日法要の時と変わらず特別なことはしていません。誰々さんが来たとかも無く、集まる事もしませんでた。
朝起きるとまたもや父が準備を済ませていました。父はこういう事は怠らないので凄いなと感じながらも少し気を張りすぎでは?と心配になりますが
ずっと甲子園の中継か、妹のバレーボールの試合映像ばかり見ているのでそこまでなのかなとは思っています。
長崎の実家の方法で
コロナの関係もありいつもなら父の実家である長崎に帰り、ひたすら娯楽のない環境でゴロゴロしたりしていました。
あとは田舎ならではでお盆といえば爆竹というイメージが強いです。
初めて爆竹を触ったのが中学生くらいで大阪ではできない事ができるので、少しビビりながらも弟と何袋も開けて遊んだのを覚えてます。
もちろん、後片付けも母に言われホウキとチリトリで2人で片付けました。
京都の送り火も大阪に居る時はテレビで見ますが、これまではお祭りのように感じていましたが母を亡くしてから意味をしっかりと理解し静かに手を合わせてしんみりと時間が過ぎていくのを感じていました。
今回、我が家で行った事は写真のように行いました。
仏壇に貼ってあるお札は、49日法要をして下さったお坊さんに教えていただき貼ったものになります。
意味などもよくわかっていませんが「いくつか入っているので貼って下さい。」と言われるがまま貼っています。
そして、仏壇に供えている食事は米・キュウリ・人参が入っています。
このお供えを水の子って言うんですね。このブログを書いていて調べてさっき知りました。
この組み合わせの感じも長崎で見た感じに父が再現していて凄いなと感じました。
さすがに大阪の住宅街で爆竹をすることもできず花火もできずでしたが送り火は行えそうだったので行いました。
迎え火、送り火
今回初めて長崎でも行っていなかった迎え火・送り火を行いました。
初めてだったのであっているかよくわからないまま行っていました。
迎え火に関しては父がサクッと1人でやってしまい「え..」となりましたが、送り火は家族揃って行う事ができました。
住宅街の一軒家なのでこじんまりとですが行う事ができました。
思った以上に焦げた匂いがするんだなと感じました。そして来年は手紙でも書いて空に上ようと思います。
友達にも会わなかった
この時期になると必ずあったのが、ほかの土地で就職した友達が大阪に帰ってきた飲みに行っていました。
こういった飲み会はいつも数人で多くても3人でしか飲まないのでそれほど大人数でワイワイとは行きませんが楽しい会でしたが今回は気分が乗らなかったため行いませんでした。
高校からの友人と行く事が多いですが誘うのはいつも僕なので調整は簡単だったのですが、大学時代の友人からの連絡は断るたびに「ごめんよ」ってなり少ししんどかったですね。
ありがたい事なんですがまだ、この友人たちには母のことは話していないので僕も26歳の年になったので友人たちも数名、結婚などしており
どうしても親の話が多くなってきているので年末には話せるかなと思っているので「年末に会おうか」と返信を返しています。
友人と心から楽しめる日が来るとは思っていますが年末にその準備ができているか不安はあります。
ふと思った事
ふと思ったのが、いつかTwitterで知り合う事が出来た方々と食事でもできたらとは思いました。
関西近辺なら、または近くに行く機会があればですが。
皆、誰かを亡くし身近な人には話せないなどあるかと思いますが、Twitterで出会った方々ならその場ならではの話しやすさだったり発見があるのかなと思っています。
いつのか その日が来ることを密かに思い、考えています。
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