どうもタテです。
今回はシリーズ化している母についてお話しさせていただきます。
これまでにいくつか書かせて頂いているのでそちらもご覧頂けたらと思います。
前回は豪快な、カッコイイ母についてお話しさせて頂きました。
今回は母がある日メンタルトレーナーになると言った時のお話をさせて頂きたいと思います。
メンタルトレーナーになるといった母
僕が高校2年生になる頃だったと思います。
帰宅した僕に母から「挑戦したい事ができた」と切り出させれました。
「メンタルトレーナーに挑戦したいねん」と告げられました。
なぜ母がメンタルトレーナーになりたいと言ったのかは、
この記事ではお話しできませんが、中学生の時僕がかなり落ち込んで家に迷惑をかけた出来事があったので急に!?とはなりませんでした。
父には軽く話した様ですが、やはり一度「なれっこない」「ダメだ」と言われたそうで
母は味方になったくれる人を家で探していたんだと思います。
結果、家族5人いるタイミングでプチ家族会議をし、母はメンタルトレーナーの学校に通うことになりました。
主夫の様になる僕
母が学校に通う事になり、両親の帰りが21時やはたまたそれより遅くなる事になりました。
当時一番下の妹は小学生だったので児童会へのお迎えや夕食作りが始まりました。
夕食は食材が配達され、一緒に入っているメニューに従って作るサービスを利用していたので、週末以外はメニューに困ることはありませんでしたが
夏休みなどの長期休みの昼食が大変でした。
やはりどうしてもスーパーでお弁当を買う事が多くなりました。
たまに弟に買って言ってもらったり、弟にメニューを考えさせて作らせた事もありました。僕や弟が家事のレベルアップにもなった出来事でした。
でも永谷園の煮込みラーメンには助けられました。弟妹共に同じタイミングでハマったのもあり、週に1度は食べていました。
少し余談が過ぎましたね、母の話に戻ります。
学校での母の格闘
学校に通い始めて母は、大学院生の様にメンタルトレーナーの世界に浸かり込んでいました。
課題の1つに授業で培ったものからプレゼン?のような動画を取るため、部屋を借りて撮影するようになりました。
お金が少なくなってからは家で撮影し始めました。
創作でゴミ袋とA4用紙を使って簡易的なホワイトボードを作っていました。
動画の編集と言っても1発撮りで、動画の最初と最後のいらない部分を切る作業を父に教えてもらいながらしていました。
別の記事でもお話した事でもあるのですがある日、僕が帰宅すると母は1つの用紙を見つめ悩んでいました。
少し話を聞くと何度か「誤字・脱字がある」と返って来ている用紙で、その箇所が見つからなくて悩んでいるとの事でした、母と一緒になり探していると
結果、用紙に書いている日付の曜日が間違っていたのです。
母はすかさず、携帯を取り出し先生に報告しました。
これがいけませんでした。
母は「すみません、曜日が間違っていました!」と元気よく報告しすぐに声のトーンを落としました。
電話を切り、僕は母にどうしたのか尋ねました。
報告をした時、先生から「確認の電話ですか?」と言われたとの事です。
母は図星だったので固まり、「もう少し改善し、提出します」と答えるしか無かったと言っていました。
僕にとって、母がしっかりと落ち込んで反省している姿を見たのはこれが初めてでした。
これまでは、切り込み隊長のようにおちゃらけて「行きましょか?(笑)」なんて言っていた母の姿からは、かけ離れていたので今でも思い出す事ができます。
それからの母は順調に学校のカリキュラムをクリアして行き、
傾聴できる人になり「聴くプロ」というバッジを身につけるようになりました。
まとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回は母がメンタルトレーナーになると言った話をさせて頂来ました。
次の記事ではメンタルトレーナーになってからの母の行動
病気がわかる経緯についてお話しできればと思います。
それでは次の記事で。
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