どうもタテです。
祖母の葬儀が終わった後、父の体調が悪くなてしまいました。
個人的には、一時的なものかと思っていましたがそうではありませんでした。
結果としては、父は2025年9月2日に亡くなりました。
母と同じような足を見た時、声をかけてもっと詳しく話を聞くべきだった。父に黙ってでも病院に行って病状を聞くべきだった。とか
母の時もそうでしたが、後悔ばかりが残っています。
今は少し落ち着いたので父が病気になった時のことをお話します。
父が糖尿病に
ある日の昼休みに妹からLINEが届きました。
「父ちゃんが調子悪くて病院行ったら、糖尿病やったらしいです。きっと連絡してないから、一応報告です。」
マジか!?と思いそのまま返信しました。
LINEで話を聞いてみると、妹が父の症状を調べ糖尿病かもよと言い、病院から帰ってきた父が
「◯◯(妹)が言ったとおり糖尿病でした😜」と帰ってきたらしいです。
いつものように、おちゃらけた父の帰宅だった様子だったようなので
この日は父に「◯◯(妹)から糖尿病になったと聞きました。食事には気をつけて」とLINEを送りました。
妹、「私の休息できる場所はどこ?」
父へ送ったLINEに既読がなかなかつかず、父からの反応が無いので妹に父の生存確認をしました。

父ちゃんLINEに反応が無いねんけど、生きてるよな?

生きてるよ。

父ちゃんにとっての母ちゃんが亡くなったから、メンタルがダウンしてるかもやから、ごめんやけど様子をみてもらえへん?

もう、私が病みそう笑
部活終わりに頼まれてフルーツ買って帰ったら、食器・洗濯物がぐちゃぐちゃ。父ちゃんはオエオエ言ってるし。普段通り過ごしてるのにうるさいって言われる。

私の心と体の休みの場は、一体どこですか
部活終わりにスーパーに寄って帰宅し、食器や洗濯機を動かし、朝の部活前に取り込む。
20歳になったばかりの妹が、疲れた体の状態で家事をして、父にガミガミ言われるのは心も疲れるよなと想像ができました。
父は父で、母の時のように自分で出来ないことが増えているような気がしてイライラしてるのかなと思います。
変なことを考えた
父の状態を知ったとき、父の体がもっと悪くなって、いなくなるんじゃないかと考えてしまいました。
妹は30歳になるまでに両親を亡くすんじゃないか。僕が喪主となり葬儀をするんじゃないか。
我が家の結婚式は一般的なものより寂しくなるんじゃないか。
父の病状も詳しく分からない状態で、答えのない頭の中で考えてグチャグチャになってしまいました。
久々に母の時のように、胸をキュッと締めつけられ、心が波に拐われる感覚がしました。
実家へ
仕事が思いのほか早く終わったので、実家に帰りました。
帰ったときの父の様子は、薬に慣れていないのかしんどそうにしてました。
メタボだった父の足は細くなっていました。
足を見た瞬間、亡くなった母の足を思い出しました。
父は自分の足で歩いて、口の中の気持ち悪さを流すため口をすすいでいたので「大丈夫か」と少し安心しました。
ひとまず帰宅
妹に「来てくれてありがとう」と言われ、「何もしてないで。また何かあったら連絡して」と言いました。
父に「ほな、帰るな」と声かけをして「お~」と返事をしたのでこの日は帰りました。
帰りの電車の中で父の姿を思い出し、足が細いことが気になり調べてみても何も分かりませんでした。
父が言っていた口の中がネバつくことくらいしか、父の状態を知ることができませんでした。
母の時のように、1年はもつんじゃないかなと思い調べるのを止めました。
数日後に妹から助けてと連絡が来て、「明日、行くわ」と連絡して準備をしていましたが
父の身体は1年どころか、1ヶ月も持ちませんでした。
家に行こうとしていた日のお昼に、他界しました。
長崎の親戚に聞いた話
父は結果としては、心肺ショックが原因と医師から診断を受けました。糖尿病と元からあった高血圧の合併症も要因であると教えてもらいました。
葬儀の時に親戚から聞いた話だと、喉が渇くと言い頻繁に飲み物を飲んでいたようです。
親戚が父に「大阪に帰ったら病院に行きよ」と声をかけていたようですが、素直にすぐに病院へは行かず、結果としては妹に言われて病院へ行きました。
「もっと早くに行っておけば」「もっと強く言っておけば」など色々と葬儀の時に話しましたが、父が帰ってくるわけでもないので「3人、力合わせて頑張れ」といろんな方から声をかけてもらいました。
父が亡くなって2ヶ月が経ちましたが、祖母の手続きも完了していないので、まとまった休みを取り父の代わりで手続きをしようと思います。



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