どうもタテです。
父が他界しました。また我が家は親を失いました。
本当に誰かを、親を亡くすのは辛くしんどいです。
僕も含め弟妹が20代で、妹は20歳になったばかりで、両親を亡くすという誰もが思ってもいないことが起きました。
今の家族の状態としては、49日法要も終わり、一旦落ち着いたかな?って感じです。
妹も週末の試合にも出場し、YouTubeでのライブ映像を確認して試合に集中できていました。
そして妹は関西選抜に選ばれ、年末に佐賀県で試合に出ることが決まりました。
弟は特に大きな変化はありませんが、LINEの返信が早くなったという大きな変化がありました。笑
妹からの連絡
父との別れは突然でした。
普段通り仕事をしていると、妹から珍しく着信がありスマホを開くと

父ちゃんが息してない
救急車の中におる
正直、何を言ってるのか理解できず「マジ?」と小さく声が出たことは覚えてます。
社内で仕事をしていたので、すぐに部長に声をかけ会社を出ました。
とにかく病院へ向かい、道中に弟に電話をかけても出ずLINEを送り母のときの事を頭の中で巡り、パニックになってました。
そしてついに妹から

もうダメだって
ごめん。私がお昼寝したから
私のせいや
妹に何度もやり取りをして、「向かってるから待ち」としか言えず
妹ひとりで息を引き取る瞬間を迎えた悔しさと、自分の無力さで僕は崩れてしまいました。
まだ病院まで距離があり、何もしないでじっとすることができない状態だったので
長崎の伯母さんや、助けてもらえそうな人たちへ連絡を入れました。
特に父のお姉さんは、僕の説明が下手だったのもあると思いますが、父がケガとかで入院しただけやろ?という状態でした。
改めて連絡をして状況を理解してもらいました。
父の顔はみんなと同じ
救急病棟へ向かい、受付で案内してもらいました。このとき既に、母のときと完全に重なっていました。
足音で気付いたのか、妹が病室の引戸を開けて「ごめん」とひとこと言い、僕の肩で泣きました。
母のときと同じように、妹の頭を撫でながら落ち着くのを待ちました。
看護師さんがドアをノックして、「お父さんに会われますか?」と言ってくれたので「はい」と答えました。かけられていたシートをめくり、父の顔を見ました。
何度目かの亡くなった人の顔は、今にも「うわぁ!」って「ドッキリでした~」って起き上がって来そうな気がする様子で、母も祖母も父も同じような寝顔でした。
妹の前で僕は父に向かって「順番がおかしい!アホ!」と父に言いました。
他にも父に悪口を言ったと思います。
悔しさや、両親を奪った世界に対する憤りをぶつけていたんだと思います。
少しして看護師さんが「先生が来たので、診断と状況を聞かれますか?」と声をかけてもらい、医師から診断と状況を聞きました。
妹がひとりで救急車を呼んで父が救急車で運ばれるまで、妹が心臓マッサージをしていたこと。
救急車の中で処置をしたが既に心臓が止まっていたこと。妹が頑張ったことを聞きました。
そして、家で亡くなったので警察に父を預け、ことの経緯を話さないといけないことを教えてもらいました。
僕は、妹に父が亡くなったことを妹の口から言わせる残酷なことはさせてはいけないと思い、警察には僕から話すことを決意しました。
家族そろって見送り
亡くなったことを確認する医師の立会いは、家族がそろうのを待ってもらいました。
先に(母方の)祖母が到着して僕らの体をさすり、父と面会しました。
祖母も僕と同じで「まだまだあるのに。これから、どないするのよ。早すぎるわ」と父に声をかけました。
血の繋がらない親戚であるU家のお母さんも来てくれて、妹のメンタルを支えてくれました。
妹をお任せしている間に父の会社にも連絡を入れ、父が亡くなったことを伝えました。
色んな方々が父の訃報を聞いて、言葉を失われたりした方や電話口でも伝わってきた脱力された方がいたりと父を惜しんでくれる方の存在を知りました。
連絡が一段落した頃、弟が到着して父と面会。少しして兄弟3人そろって父を見送りました。
警察の方と状況確認
今回、父は自宅で亡くなったので事件性の可能性が無いか確認するため
病院で父がなくなった経緯を説明し、その後に自宅で状況を確認するため、いわゆる「家宅捜索」をすることになりました。
父が亡くなった経緯を話す時に、どうしても妹が話さないといけない事が、僕は辛かったです。
家宅捜索では、父の財布が盗まれていないかといった犯罪の形跡がない事を確認する感じでした。
最後に父の銀行口座を確認をして、警察が銀行に対して、取引の停止手続きをしてくれると説明を受けました。
また、父の身体は警察署に預けられるので後日、葬儀屋さんの手配ができたら手続きに来てくださいと伝えられました。
長い1日目が終わりました。
葬儀屋と打合せ
2日目に葬儀屋さんに連絡を取りました。場所や施設の勝手が分かっている母の葬儀屋と同じ場所にしました。
母の情報も残っていたようで、何かとプランや細かい内容がスラスラ決まりました。
喪主は僕が務め、色んな方面に連絡先を伝え1時間ほどで打合せは終わりました。
葬儀を翌日から行うことはできたのですが、1日遅らせて準備を整えるようにしました。
父の葬儀
U家の皆さんに本当にお世話になった2日間でした。
長崎の親戚も揃い、名古屋の従兄弟も来てくれ父を弔うことができました。
葬儀には父の会社関係の方々が来ていただいて、100名を越える人に参列してもらいました。
妹のバレーボール関係の人も来ていただいて、父が多くの人と関わって来たことを知ることができました。
喪主は大変すぎた
今回、喪主を務めて感じたことは喪主は大変すぎました。
喪主をやらずに済むなら、やらない方がいいなと思いました。
とにかく電話が鳴りやまない…
誰からなのか、分からず今話している相手が分からなくなりました。
葬儀屋さんも担当、役割が違うのかそれぞれの方から電話がかかり「あなたは誰?連携取れてない?」なんて思いながらも対応をしていきました。
スピーチで頭が真っ白
葬儀当日、綺麗な飾り付けのなか棺で寝ている父を見て「あ、また失なうんだ」と実感しました。
「この2日間でお別れやな」という気持ちで、指先で棺をコンコンとノックしました。
お坊さんが到着して、弟と2人で挨拶をしました。父がどんな人だったのか、どんなものが好きだったのか話し、葬儀の受付が始まりました。
葬儀が始まるまでの間、葬儀屋さんからスピーチの例文をもらい、手にカンニング用で話すポイントを書いて、役割を果たそうと準備をして、ギリギリまでぶつぶつと暗記しました。
葬儀が淡々と進み、喪主挨拶となりました。
葬儀屋さんからマイクを手渡され、参列者の方を見た時に頭が真っ白になりました。
葬儀中、目線を足元や父の方ばかり見ていて人の数や顔を見れていなかったのもあるかと思いますが、100人もの人の前に立ち、顔を見たときに真っ白になり用意していたものが消えてしまいました。
仕事では人の前で話す事に慣れているつもりでしたが、正面を向けず挨拶をしました。
よくは覚えてませんが、父が何が原因で、どう亡くなったのか話すつもりでしたが父と母の写真を見ながら話して、既に母が居ないこと、2人とも妹の成人式を見れなかった事を話したと思います。
最後に参列者へありがとうを伝えて、喪主挨拶を終えました。
シャキっとスマートに決めるつもりでしたが上手くいきませんでした。
最後にギャン泣き
2日間の葬儀がなんとか終わり、2日目は参列者の数も落ち着いて、喪主挨拶ができたと思います。
父の供養が終わり、最後に花を入れる瞬間。
葬儀屋さんから「親族の方からどうぞ」と言われた時、1歩踏み出し部屋に入り蓋が開いて父の顔が見え
込み上げるものがあり、一瞬こらえ部屋から出て、Uターンして部屋を出たら耐えられずギャン泣きしてしまいました。
しばらく泣き、落ち着いたタイミングで父のもとに行きました。
一輪の花を渡され花を持ったまま、しばらく父の顔を見ていました。
「母ちゃんに怒られろ」と父に言い、隣にいた妹も「ほんまや。1回怒られて」と僕に同調して言いました。
いくつか花を棺に入れ、父の周りを埋めつくして最後に蓋をして霊柩車に載せました。
火葬場でも親戚とゆっくり話をして、これからの僕ら3人の進路や仕事の話。今後の我が家の長が僕になったこと。色々話して火葬が終わるのを待ちました。
火葬が完了し父を骨壷に入れ帰宅し、長い2日間の葬儀が終わりました。
今後は相続やいくつか手続きを進めようと思います。
また落ち着いたら、報告します。


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