【母ロス】死別を経験して持っていた単位がなくなる

母の事

どうもタテ(@tate1997ZA8f)です。

母の命日が近づいてくるとどうしても自分の心がコントロールできず、この現象は死別を経験した人は共通のことなのかも知れませんが、毎回しんどくなるのは慣れないです。

ここ最近は、しんどさは自分の心構えが出来るようになったので軽傷で済んでいます。

死別を経験して自分の中にある歯車が、噛み合わないことの原因を振り返り、ひとつは自分が使ってきた単位が使えないことなのかなと思い今回ブログを書いてみました。

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死別で単位が使えない

我が家は5人家族でした。

5人それぞれが好きなものや趣味があり、友人と出掛けたりする放任主義な家ですが

買い物に行くとなると5人で動く、なんだかんだで仲のいい家族です。

例えば家へのお土産として買い物をする時、5人分として「5」を計算の単位としていました。単位の数は違えど、皆さんそれぞれの単位を持っていると思います。

母が他界して、いつものように買い物をしてしまい家に帰ったとき「あれ?そうだった」となり、自分で心を締めつけてしまうことがありました。

この自傷行為みたいなのは、母が他界して2年ほど経ったら回数は減りましたが、他界してから3年経った今もときどきしてしまっています。

今では考え方、受け取りかたを変えたので、お供えだったりポジティブにお土産として考えることで、自分がしんどくなるのを防いでます。

しんどくなってしまうことを、もっと早く防ぐことはできないのかと調べてみたこともありました。

グリーフケアと言う単語がヒットしそれによると死別後に訪れる何段階かのステップがあるらしく、死を受け入れられたと思いきやまたメンタルが落ち込むという負のスパイラルがあることを知りました。

そして心へのダメージがダントツで大きいのが死別で、次に離婚らしいです。

僕は25歳、一番下の妹は17歳の時に一番大きいとされる死別を経験して2年と少しかけて、負のスパイラルから脱出した我が家はある意味メンタルが強い家族になったのかもしれません。

確かに普段の会話で母を話題に出せるようになり、「こんなこと言ってたらまた母ちゃんに叱られるで」と笑いながら話したりできるようになりましたが

命日だったり、母に見せたかった姿や一緒に見たかった景色を見れないってなるとしんどくなります。

今でもたまに「5」という数字をみたり計算するときに、僕の持っている単位と一緒だと感じしんどくなったりしますが

いつか「5」と言う単位をポジティブに使える日が来たらいいなと思っています。

母のLINEが消えた

2024年12月に母のLINEアカウントが消えました。

ついにこの日がやってきたかという感覚でした。

母が亡くなって1年と少し経ったころ、父がそろそろしないとなと言い母の携帯の契約を解除しました。

当時の僕はまだそのままにして欲しいなと思っていましたが、これからのお金のことを考えると、そうだよなと思えました。

実はアカウントが生きている時、向こうに届くんじゃないかと母のアカウントに連絡をしていました。

父が使いこなせるか分からない家電を買ったときや弟の行動に対する愚痴。

一番多かったのは妹のバレーボール関連の報告です。

理由は単純で、母は僕たちのどんな小さな発表会にも現地で見に来てくれていたからです。

妹が「誰それちゃんがやってるからやりたい」と言ったのではなく、ハイキュー!!を読んでテレビで見て、自分がやりたいと言ったバレーボールで大きな春高バレーという舞台まで行った。

唯一、妹の夢の舞台である春高バレーはコロナ禍ということもありましたが

家で車椅子に座りライブ映像越しでしか見れなく、それが最初で最後になってしまったのが僕個人として悔しかっただろうなと思ったからです。

妹が3年の最後の春高バレーは観客応援が解禁になった年で、母が見たかったであろう観客席からの景色を父の隣で見ながら

心の中で母に「見てるか?気持ちいいブロック決めてるで」と問いかけてました。

試合は負けましたが、良い試合だったので母も満足してると思います。

一部メディアに取り上げてもらった試合後のインタビュー前に涙でグシャグシャな顔で写ったらダメなので首にかけてたタオルで拭く前に2回も抱きしめたのは、

笑顔で妹を抱きしめたかった母の気持ちが、僕にのりうつっていたのかなと思っています。

その他にも少し報告を続けて、僕の引っ越しが終わった12月の上旬に母のLINEアカウントが無くなりました。

いつか、ヨボヨボの姿で

母のLINEアカウントが消えて、母が使っていた番号が誰かへ渡ったのかなと

それと同時に輪廻転生したのかと思いました。

もしそうなら母の生まれ変わりに、いつかすれ違うことができるのかなって少しポジティブに受け取ろうかと思います。

いつの日か僕が母よりも長く生きてヨボヨボになった僕と54歳の母とこれまで僕が体験したことをお茶しながら語り合い

気長に弟妹がこっちに来るのを待ち、いつの日か家族5人揃って買い物に出掛けて食事をしたいなと思います。

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