「ありがとう」が「さようなら」

母の事

どうもタテ(@tate1997ZA8f)です。

今回は少し前に放送されていた金スマでアンガールズの田中さんが出演されており、お母様を1年半ほど周りに黙っていた事を今回の番組で公表されているのを拝見させてもらい

田中さんにかなり共感することがあったので僕が感じたことをお話しさせていただければと思います。

リアルタイムで見る事はできなかったのでTVerでの配信で見させていただいたので

もしかしたら、少し内容が違っていたりするかも知れませんがその辺りはご了承ください。

田中さんもおっしゃっていましたが、皆が経験する事で他の方もこういった経験をされている事にすごいと思う。」

これについては今の僕は思っていませんでしたが、この言葉を聞いてそうだなと思いました。

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母の事を世間に黙っていた事

田中さんがこの1年半近くお母様が亡くなっていた事に対して話せずにいたと言う事は少しわかる気がします。

そして今回、この番組で公表された事にかなり勇気のいる行動だと思いました。

自分に対しても母の死を認め現実を突きつける事はとても勇気のいる一歩を踏み出されたなと感じました。

親、大切な人との別れについて話す事はとても気持ちが沈み、しんどく辛い事にも関わらず本当にすごいなと思いました。

僕もこの場では母が亡くなった事や、Twitterでも母の死後の話をしていますが

顔を出さず、匿名での場でしか話す事はできていません。

母の死に対して話せるのは、母の葬儀に出てくれた大学時代のバイト先の店長くらいで

高校時代からの友人や僕が小学校の少年野球でお世話になっていて母とも交流があった方

僕のみならず、弟・妹の時にお世話になった人

まだまだ、話せていない人ばかりです。

いつかその日が来たら話せればと思います。

「ありがとう」は「さようなら」

番組の中でも田中さんがおっしゃっていましたが

もっと「ありがとう」を言えば良かったと思っていますが

今、「ありがとう」を言うとなんか死んでしまうように感じる

金スマ アンガールズ田中さんのコメントより

この言葉にはとても共感しました。

実際に僕も「ありがとう」を言いたかったのですが言えませんでした。

僕らもコロナの影響を受けながらも週に1度の10分間、家族の誰か1人だけ面会が許可されていたので月に1度はチャンスありました

会いに行けて月に1度なので、前はベッドからスッと起き上がり話をしましたが

次に会うときは、ゆっくりとベッドを動かし話をしました。

こんな状態の母を見て来て、「ありがとう」なんて「さようなら」みたいで言えるはずが無かったです。

1番、言いたいと・伝えたい感情を全て含めて「ありがとう」を言いたいのに言えない。

もっと早く、たくさん言えば良かった伝えるような事をすれば良かった

この後悔はずっと残り続けてしまう事だと思います。

僕の友達や、いつかくるか分かりませんが、もし僕に子供や孫ができた時にでも伝えられたらと思います。

エンディングノートがあるといいな

番組の最後でお母様から田中さんへのメッセージや贈り物がいくつか紹介されていました。

この時の映像を見てお母様は強いなと感じたと同時に、羨ましくもありました。

母が亡くなった後、僕らの手元には何もありませんでした。

母の直筆のノートや手紙、献立のレシピ、何もありませんでした。

病院からの帰り、兄弟3人で持ち帰って荷物は着替え・オムツ・薬くらいでした。

形に残るものだけが全てではない事はわかっていますが、いいなと思ってしまいます。

データになってしまいますが、父が昔っから作っていたホームビデオ

僕が母の入院し緩和ケアに入った時に買ったタブレットの残っていた写真

これらが僕らに明日を生きるエネルギーをくれているように感じます。

それと同時に

いつか家族のイベントがあった際に父と母でそれまで内緒にしていたモノが出てくればいいなと思います。

最後に

もっと母に会えたら良かったなど、いろいろ考えていましたが

仕事で予定を埋め、無理やりに自分を動かしていたのもあながち間違っていなかったのかと思います。

と言うのも、父は母の状態を亡くなる直近まで母の姿を見ていました。

亡くなる日の朝、父と合流した時に聞いた話ですが

母に会った際、少しボケているような様子だったけど目があった時、「お!」と反応を示し

父が来たことは分かってくれていたと言っていました。

ある意味そう言う状態の母を見れたらと思う反面、見ていれば僕は僕でないような状態になっていたかも知れません。

母は父と結婚し、僕ら3人を産んで

母が母としてやりたかった事、家族全員で酒を飲む、妹と成人式の袴を選んだり、

子供の結婚式に出席しお祝いをする、孫をみるなど全てできはしませんでしたが

母が幸せだったと。

54歳で去ってしまいましたがそう感じてくれたら

これから色んな報告をして、そう感じてくれるといいなと思います。

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