どうもタテ(@tate1997ZA8f)です。
このブログを始めるきっかけになった母の余命宣告を受けた日のことをお話したいと思います。
プロフィールにも書きましたが2021年11月に母の余命宣告を受けました。当時の僕は24歳でした
それではどのように僕が母の余命を知ったのかお話します。
11月転院の日
11月5日、この日は僕がワクチン接種で会社を半日休暇をとっていた日でした。
父がタイミングを合わせてくれていたとは思うのですが、僕がワクチン接種のため午後休を取った日になるよう
母の何度目かの転院の日程を合わせていました、この時の母はすでに自分の足で立つ事が出来ていませんでした。
なので父からは母の介助で半日を1日休暇に変えてもらもらえないのか会社に言ってみてとなりましたが会社のタイミングが悪く取れなかったので午後一番に転院先の病院へと向かいました。
病院に着き父と合流しました。母は入院前検査ということで診察を受けているとのことでした待っている間、父と母のことについて話しました。
午前中父は、転院の時の話をしてくれました。車に乗せる際、母の足が動かないので絶妙な高さで腰をキープしたまま乗せるのが大変だったこと、腕がパンパンになった事をおかしく話してくれました。
その後父はトーンを落としふんわりと、母との時間が残り少ないと言うニュアンスの事を伝えられました。
軽く僕も察し、気持ちを作る段階に来たんだなと思いました。
数ヶ月ぶりの母との再会
父がトイレに立っていると、看護士さんに押させる車椅子に乗った母がやって来ました。
母の顔を見るのは数ヶ月ぶりで、病院に荷物を届けに行く事はありましたが、コロナの関係で、看護士さんに部屋に届けてもらう様になっていたので顔は見れていませんでした。
久しぶりに見た母の姿が、車椅子姿で、「よ!」と母に声を掛けられるまで気づいていませんでした。
その声も儚く、か弱い声で反応に戸惑いました。それなりに、軽い会話をしているとトイレから父が戻って来て、父も混ざって3人で会話をしました。
ストローでも水が飲みづらい事を知った
父が気を利かせてくれたのか、飲み物を買って来るといい僕と母の時間を作ってくれました。
紙パックの飲み物と、ペットボトルのジュースと買ってきてくれました。
母はペットボトルの飲み物を選んで飲み物を選びました。
久しぶりに甘いのもが欲しかったのか開けづらそうにしていたので、父が代わりに開け渡していました。
母は握力が弱いのか両手で持ち、飲み方も下手になっていて口からこぼしていたので、紙パックについていた小さなストローを渡しました。
しかし母らからは、いらないと言われました。ストローも吸うのが少ししんどくなっていると言われました。
この時かなり自分の中で、衝撃を受けました。
宣告されて事を知った経緯
母の転院の部屋の準備ができ、荷物を一式置き雑談でもと思いましたが、手続きとコロナの関係があるので退出をとの事でしたので
退出をし談話コーナーみたいなところで母の衣類のレンタルのことなどを話していきました。
そんな中、担当医から何かありましたかという質問で
父が「担当していただいた方から2~3ヶ月と」
この時初めて数字として母の余命を知りました。看護師さんとの会話では、笑って今聞きましたなんて対応しましたが、その時はついに来たかという感覚でしかありませんでした。
父が言った言葉がはじめはよく分からなくて、自分の中の時間が止まったような感覚になりました。
病院に着いた時父が話したかった事はここだったんだなと理解できました。
まとめ
僕はこの様な形で母の余命が短くて、年内。
ないしは母の誕生日くらいである事を知りました。
まだこの記事を書いている時点では母は生きていますし、まだ話すこともできます。
「湯を沸かすほど熱い母の愛」の最後のシーンの様に会話ができない状態ではないので、
母に気軽に面会する事は出来ないですが、この時間を噛み締めたいと思います。
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