どうもタテです
今回は永松茂久さんが書かれました「喜ばれる人のなりなさい」(すばる舎公式に飛びます)についてお話したいと思います
母について書かれた本だという事で、多くの方に読まれ共感をされている本です
僕も母との時間が少なくなっているので、
今のうちにできる事がないか知りたく、購入させてもらいました
僕もかなり共感しましたし、本の帯にある様にうるっと来た箇所かいくつのありました
電車で移動中だったので頑張ってうるっと来たのを耐えました
僕が刺さった所についてお話させていただきます
親が頑張っているのを知っていたからわがままは言わなかった
この一文は本を読み進めている時、最初に僕自身に刺さった一文でした
そして僕もこの言葉には、身に覚えがありました
僕の母は、僕が高校2年生の頃心理カウンセラーになるということで、カウンセラー学校に行きました
この時、父も仕事で遅かったので夕食を僕が作る様になっていました
でもこの一文の様に「両親が頑張っているのを見ていたので」文句はありませんでした
本当にその姿を見ていたからです、例えば
ちょっとしたスペースを借り自撮りでビデオを回しプレゼンの様なことをしていたり
母が資料を作るのに必死になっていたり、「誤字がある」と言われ何度も確認し父にも確認をお願いし
誤字の箇所を見つけられずにいた頃、日付の曜日が間違っていることを発見し
とっさに、学校の先生に連絡し誤字を見つけた事を電話で報告していました
今思えば止めるべきだったのかも知れませんが、当時高校生の僕にはできませんでした
先生からの返答が「確認の電話ですか?」と言われ
母はショックを受け、言い訳をするように「もっと、いい資料を作ります」と言って電話を切りました
母は少しの時間反省をし、資料作りに励んでいました
こういうのを見ていると「なんで俺が家のことしないといけないの」なんて言葉すらよぎりませんでした
母をとことん幸せな姫にする
この言葉が書かれていた「第4章 MOTHER」はこの本で僕が最もどの言葉もお母さんの様子などが刺さった章です
永松さんが経験された事、これから僕にも訪れるであろう体験
その際、永松さんがされていた行動、後悔などかなり参考になりましたし
後悔しない様にしないとなと感じながら読んでいました
「母をとことん幸せな姫にする」
この言葉は永松さんのお父さんから始まり、3人の合言葉となったものだそうです
僕らはコロナの事もあり、週に一度、家族の誰か一人が面会できる状態でしたので
頻繁に病室に行く事は出来ませんでした
年末年始に母と数日間ですが過ごせていたので、家族揃って同じ屋根の下にいるという事が嬉しかったです
この年末年始の時、母に言われた事は
「この年末年始に私が来て迷惑じゃない?」
でした、父がカテーテル・オムツを替え、僕は薬の管理・歯磨きを見たりとしていて
数日たった頃に言われました
「そんな事ない、久しぶりに同じ家いいるって事で嬉しいよ。特に妹にとっては大きいよ」
と僕は正直に答えました
母は「そう」とい言った感じの反応でした
夜、母がチャレンジで自分で立ち上がろうとしたが
やっぱり立つ事はできず、近くで寝ていた父にのっかかる形になってしまった事など話してくれました
母もまだあがいているんだと思いましたし
そんな母を僕も、幸せな姫にしたいと感じました
まとめ
今回は「喜ばれる人になりなさい」を読ませていたっだきその感想を書かせて頂きました
この記事を書いている時も、母の様子で重なる部分が多く11月には読み終わっていたのにも関わらず
今日まで掛かってしましました
本を購入し、購入者特典として永松さんのインタビューなどの特別動画も拝見させて頂きました
そこには、僕の母と同じ様に細くなっている永松さんの母の姿
お葬式の映像などがありなんとも言えない状態になりました
母の記録を映像や音声に残したいと感じた
動画を見終わって数日経って、僕はビデオカメラを購入しようと思いました
不謹慎かもしれませんが、母が生きていた時間や姿・葬式の様子を少しでも残したい
生きていた頃の母を見れえる様にしたいと感じました
皆さんも是非お手にとって読んで見て頂きたいです
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